先日身内の法事があり、午前中には焼香をしながら般若心経を唱和し、午後には地元のキリスト教会でバザーが開催されそこに参加し、賛美歌を聞きながら牧師さんのお話を伺いました。宗教心をお持ちの外国の方などが聞いたらきっと不謹慎な輩と思われることでしょう。しかしながら、一般的な(日常的な)日本の方々はあまり不謹慎とは考えないのではないかと思います。お正月には神社に初詣をし、結婚式はキリスト教会で、お葬式は仏式でという方は日本には大勢いらっしゃいます。
私は個人的に言いますと、キリスト教会が身近な存在であります。それは子どもの頃両親が忙しく、毎日託児所に預けられたのですが、そこがキリスト教関係の託児所であり、毎週日曜日にはキリスト教会へ通い、牧師さんの説教や賛美歌に耳を傾けていたからです。
いまでも「天にいまします我らの父よ、願わくは・・・・・・・・アーメン」や幾つかの賛美歌を暗記しているほどです。そして私は覚えておりませんが、幼児洗礼というものも受けているそうです。ところがその私が、自信を持って私はキリスト教徒であるとはとても言えません。私自身各地の神社・仏閣に出かけては手を合わせ、神式の結婚式を行い、お葬式では焼香をしているからです。節操がないとお叱りを受けても返す言葉もありません。
昨年より私は塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読破しようと読み続けており、現在文庫本の第30巻まで読み進んでいます。ローマの誕生から成長期「ローマは一日にして成らず」、ユリウス・カエサルで有名な共和制からローマ皇帝の帝国制への移行、そして最盛期「パクスロマーナ」から衰退期へと話は続くわけですが、ローマの大きな特徴は「全ての道はローマに通ず」でお馴染みのインフラ整備の徹底と被征服者への寛容であったと述べておられます。特に征服された地域の特性や宗教に対しローマ風を押し付けることなく、寛容の精神と安全保障の確立、経済の安定を推進し、その結果何万もの神々が混在する多神教と全世界の3分の1にもなる大帝国を築き上げたとしています。これを日本に置き換えてみますと、わが国でも「八百万の神」と言われる様に古くから宗教に関しては寛容であったと思われます。日本史を振り返ってもあまり宗教の対立による大きな紛争はなかったように思います。しかし、世界史をみると宗教戦争の歴史であると思えてなりません。現在でも欧州やアメリカのキリスト教圏と中東のイスラム教圏の争い事は絶えません。
信教の自由を束縛するつもりは全くありませんし、私が特別寛容の精神を持っているとも思えませんが、相手の気持ちを慮ることをみんながもう少し持っていれば、社会がもうちょっと円滑になるような気がします。最近話題となっております、オリンピックが開催される中国でのチベットや台湾の独立問題なども「ローマ的寛容」がもう少しあれば上手く行くような気もします。
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